「国有林に汚染土」の不安

2011年12月17日の里山シンポジウムで講演していただき、パネルディスカッションにも参加していただいた松本直子さんの意見記事。12月14日の信濃毎日新聞に掲載されたもの。

国有林に汚染土」の不安
 東日本大震災による原発事故を受け、福島県では飛散した放射性物質の除染活動が行われている。このうち土壌処理をめぐって、政府には国有林を仮置き場に使う方針もある。木曽郡内で昨年9月まで4年半生活し、木地職人に弟子入りもした著述家の松本直子さん=東京=は「山に対し尊敬の念を持っていないのではないか」と不安を抱き、「遠い場所の問題ではない」と関心の広がりに期待している。
 木曽に4年半 著述家・松本直子さん寄稿
 木曽谷に暮らして、波打つ山襞に無数の命が息づくことを知った。かつて山には人の歩いた幾筋もの道があり、山津波の脅威も身近なものだった。生きるものが命を保つに欠かせない水の流れは、山にその源がある。小さな流れは山をくだり、川となって海にそそぐ。
 2011年3月、東日本にもたらされた悲しみや痛み、怒りや嘆き。自然の驚異をまざまざと見せつけられ、人が作り上げたものの起こした甚大な被害に立ちすくむ。
 人が気無しに海辺においた「箱」が壊れた(気無しにとは、思慮なくという意の古い言葉だが、木曽では今もよく使う)。目に見えない毒が風に舞い、飛散した。前例がなかったわけではないが、その日まで人は危うさから目をそらしていた。
 そんな中、政府が放射性物質に汚染された土などの仮置き場として、国有林を積極的に活用する方針を打ち出した。国有林の多くは急峻な山脈や水源地にある。大きな反対の声が上がるかと思われたが、そうではない。
 15歳から定年まで営林署に勤務し、長い年月、木曽の山に生きた寺島征雄(82)の嘆きは深い。「山は貯水池、山はダム。山に降った雨は、木の葉の先から一滴一滴、地面にしたたり、地下で濾過される。『国破れて山河あり』は、いまは『国栄えて山河なし』、恩恵に対する感謝なし」
 細野豪志原発事故担当相は「森林は人が住んでおらず仮置き場にしやすい」と述べたという(9月9日、共同通信配信記事)。寺島は言う。「科学がつくりだした物質は消えんのよ。人は山を知らなすぎる」
 海辺の「箱」が大きな被害を生んで始めて人はその過ちに気づいた。いま、森で同じことが繰り返されようとしている。ババ抜きのババは、人のすることに逆らえない沈黙の森に運ばれる。きっと山の神は黙ってはいないだろう。
 木地屋の故小椋栄一=昨年5月、73歳で死去=は次の言葉を遺した。「父について山に行き大木の前に立っていよいよ斧を入れるまえ、元から最先端の梢を見上げ葉の間に見える青空、伐倒した直後、根本に笹を立て手を合わせたものだ。それ以来『木に申し訳ないような物を造るな』の信条で今日まで来ました」
 かつて人には畏れ敬う自然に温かく抱擁される感覚があった。山は生きている。森を汚すことは、水の恩恵にあずかるすべての命をないがしろにすることである。
 「山は三角になっとるんじゃないぞぉ。山は波々となっとるのを知らんかぁ。引っ込んでおるところがホラ(谷)、高いところがネ(尾根)・・・」。そう言いながら、南木曾に住む年長の友人、尾崎きさ子(81)は、波打つ山襞には清らかな水が流れ、森には命が満ちていることを話してくれるのだった。