「文明の災禍」

内山節の本「文明の災禍」(新潮新書,2011)より
p.41-42
 村の暮らしは「先祖」とともにあるといってもよい。別の表現をすれば、死者とともにある。なぜなら死者がつくりだしてくれた世界に支えられて、いま私たちは生きているのだから。死者を弔うとは、消えていった人たちを弔うということではない。死者がこの社会を支える永遠の存在になったことを死者とともに確認することであり、これからも死者とともに生きつづけることを約束することでもある。だから弔いという供養は、次のステップへの出発点になった。
p.45
 現代文明は新しいかたちで死を諒解する構造をつくりださなかった。なぜなら現代文明は生の饗宴として展開したからである。あるいは個人を軸においた生の饗宴として展開した。それでは生と死のつながりの諒解など形成しようもない。
p.80-81
 ところが原発事故では次のようなことが起こった。これまでのイメージとしての原発がこわれてしまったのである。安全というイメージがこわれたことが、日本の技術力をもってすればたとえ何かあったとしても何とかできるだろうというイメージがこわれた、ということもある。だがそれ以上に大きかったのは、原発は遠い所にあるというイメージがこわれたことである。もし事故が起きたとしてもその影響は自分には降りかからない、そういう意味でイメージとしての原発は遠い所にあった。